故北島政樹先生を偲んで
慶應義塾大学医学部外科学(一般・消化器)専任講師
和田 則仁
令和元年5月21日、本学会名誉理事長・名誉会員の北島政樹先生が急逝されました。最初にその知らせを聞いたときは、数日前にお元気な姿を拝見していただけに耳を疑いました。北島政樹先生がいらっしゃらないことがまったく実感できない、そのような中で、教室葬、お別れの会、偲ぶ会など北島政樹先生に関連した行事の準備や、北島政樹先生にご指導いただきながら事務局を担当してきた万国外科学会や日本ハンガリーポーランド外科学会の事務作業等で慌ただしく過ごしてきましたが、半年が過ぎ、その喪失感をひしひしと実感させられています。
北島政樹先生は、昭和41年3月に慶應義塾大学医学部を卒業され、昭和50年3月に医学博士学位を授与されるとともに、Harvard Medical School/Massachusetts General Hospitalに外科フェローとして留学されました。本学会には昭和57年に入会され、以後ライフワークであった消化管の創傷治癒に関する研究成果を継続的に報告されています。平成元年4月杏林大学第一外科の教授に就任されましたが、平成3年5月に母校の慶應義塾大学外科学教室の教授として赴任され、その後の目覚ましい活躍は皆様よくご存じのことと思います。私自身は平成4年3月の卒業で1年間学生として指導いただきました。その後3年間、東海大学地域保健学(現・公衆衛生学)在職中に上司の岡崎勲教授(当時)と大谷吉秀先生(浦和市立病院外科、当時)にご指導いただき創傷治癒の研究に携わるようになりました。平成7年から平成13年の6年間の外科研修では直接北島政樹先生にご指導をいただく機会を得て、また当時慶應義塾大学外科にあった本学会事務局で事務局長を務めていた大谷吉秀先生にご指導いただき、消化管の創傷治癒について本学会を通して勉強させていただくようになりました。診療科職種横断的で、基礎と臨床が連携して議論を深める本学会の面白さを実感することとなりました。北島政樹先生には平成8年から12年間理事長としてご指導いただき、厳しい時代の中、学会を大きく発展させていただきました。私自身は関連病院の東京医療センターに出張に出てからは一旦基礎研究からは離れることになりましたが、平成17年10月に、大谷吉秀先生が埼玉医科大学の教授としてご栄転されたのと入れ替わりで大学に帰室することになりました。吉田昌先生が事務局を引き継いで学会のために粉骨砕身頑張っていらっしゃるのを微力ながら補佐させていただきました。平成19年3月に北島政樹先生が慶應義塾大学を退任され、吉田昌先生とともに国際医療福祉大学に移られて、私が事務局を引き継ぐことになりました。丁度、幾つかの難題が勃発したところでいろいろと苦労が絶えなかったのですが、北島政樹先生、北川雄光教授をはじめ多くの理事の先生方に支えていただき、難局を乗り切ることができたのが思い出されます。ご多忙の中、名誉理事長として理事会にもご出席いただき、高所大所からご指導いただきました。
北島政樹先生との思い出は数えきれないほどたくさんありますが、最近では北川雄光教授のご指導のもと私が担当した5年間にわたるAMEDの医療機器開発の大型プロジェクトではプログラムスーパーバイザーとして本当に親身になって時には厳しくご指導いただき、大きな成果を残すことができました。今後の事業化に向けてまだまだご意見を伺いたいところでしたが、その声を聞くことができないのは本当に残念でなりません。何のご恩返しもできませんでしたが、改めて北島政樹先生への感謝申し上げるとともに、安らかなるご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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北島政樹先生がアメリカ外科学会名誉会員FACS(hon)に推戴された記念の写真
(平成21年10月、シカゴにて)