故 野口 剛 先生を追悼する


日本創傷治癒学会名誉会員 大分医科大学 名誉教授
内田 雄三

 

故 野口 剛 先生。
故 野口 剛 先生。
2012年8月5日、Stockholm,Karolinska Institutetの正門前にて。
 

日本創傷治癒学会理事、大分大学医学部附属地域医療学センター(外科分野)准教授・同大学附属病院消化器外科准教授 野口 剛 先生のご逝去にあたり、謹んで先生のご業績を讃え、心から哀悼の意を表します。

 私の長年に亘る相棒で戦友、そして息子同然でありました野口 剛君は2015年3月11日、大分県厚生連鶴見病院の病室において、ご家族、私ども同僚に見守られながら、55年の生涯を静かに閉じられました。検査で病態を初めて指摘されてからわずか8か月足らずの結末でありました。彼の呼吸が停止し、心電図がflatになってからもなお、私は聴診器を彼の胸から離すことが出来ませんでした。このように自分の眼で、自分の耳で直接彼の最期を確認していながら、私は未だに彼の死を受容することが出来ない状態です。

 野口君は1985年3月、大分医科大学を第2期生として卒業されました。直に第2外科に入局し、籍を置いたまま大学院(生理系専攻)に進学され、リンパ管の超微細構造に関する研究に従事されました。その成果は論文 The Distribution and Structure of the Lymphatic System in Dog Atrioventricular Valves.Arch.Histol.Cytol.51(4);361‐370,1988.として報告され、大学院を修了し、医学博士の学位を取得されました。

 第2外科においては、大学病院ならびに関連病院において、心臓血管外科、呼吸器外科、消化器外科と外科全領域にわたって研修した後、第2外科助手に就任されました。その後、1997年7月から2年間、ドイツ連邦共和国Düsseldorf 大学医学部病理学教室(Prof.Gabbert,HE)に留学し、胃癌の分子病理学的研究に従事され、その成果を論文で報告されました。
Microsatellite instability in gastric cancer:correlation with clinicopathelogic parameters and prognosis.Progress in Gastric Cancer Research:491‐495,Monduzzi Editore,Italy,1997. 帰国後は第2外科助教授として、私とともに食道外科、胃外科の診療と教育に専念されました。彼が主として力を注いだのが食道癌手術における合理的な2期分割3領域郭清、噴門側胃切除後再建術としての逆流防止弁付き二重空腸嚢間置術などであり、何れも新しい分野を開拓するものでありました。また彼は優れた手術手技の持ち主であり、彼が行った食道再建術では、術後の縫合不全はゼロという驚くべき成績を残されました。

 私が退官して間もなく第1外科に移籍され、北野正剛教授(現・大分大学長)のもとで、2010年からは白石憲男教授のもとで、食道外科の診療、研究に、また地域医療発展のために貢献されました。
 日本創傷治癒学会に関しましては、1998年、私が第28回研究会(大分市)の当番世話人を務めました折に事務局担当の1人として、また2013年、北野正剛学長が第43回日本創傷治癒学会(別府市)を主催された折の事務局責任者として、その任務を立派に果たされました。

 日常生活においては、堂々たる体格で、“健康と元気”の象徴そのものの印象でありました。仕事に対しても、人生の夢を語る時にも彼は常に熱い心の持ち主であり、若い後輩の面倒見が良く、教室員にとって常に良き“兄貴”でありました。学内外、県内外を問わず大勢の方々と親交があり、葬儀の折には遠方からも大勢の方々にご会葬いただきました。

 体調の異常に気付き、検査の結果診断が確定してからわずか8か月という信じ難い経過でありました。私達も驚きましたが、彼自身が一番悩み、苦しんだことと思います。しかし彼はそれを表に出さず、従容として自分の宿命を受容しているように見えました。化学療法の合間を縫うように寸暇を惜しんで診療に、そして後輩の手術の指導に専念し、学会にも出席していました。このような“覚悟”に徹した古武士にも似た彼の生き方に周囲の人達は深い感動を覚えました。このような彼の外科医として、また教育者としての精神は、必ずや若い後輩たちによって引き継がれ、語り継がれてゆくものと信じています。

故 野口 剛 先生を囲んで
故 野口 剛 先生を囲んで(左から2人目)。
2014年3月11日(奇しくもご逝去の正に1年前)、第213回大分県外科医会例会(大分県医師会館)ならびに同懇親会終了後、街の居酒屋「さか田」で2次会の最中。意気軒昂、元気溌剌。

 彼の想い出は私の人生そのものであり、到底語りつくせるものではありません。天はなぜこの時点で彼の人生に終止符を打ったのか・・・・。唯々茫然自失の状態で、今の私には彼の死を悲しむことしかできません。彼からの最後の音信は3月3日消印の1枚の絵ハガキでした。彼が高校時代に旅行先で買ったという大切な宝物の1枚でありました。その内容は「3月には会いたい」こと、そして「先生の期待に副えないのが悲しいです」の一行で終わっていました。

 会員の皆様方には、彼の生前に賜りましたご指導、ご厚情に対して心より厚くお礼申し上げます。また彼が残しました若い後輩達、彼の生命そのものでありました大分大学医学部の食道外科に対し、これまで同様にご指導を賜りますよう、故 野口剛君に代わりまして伏してお願い申し上げます。

2015年3月31日

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